たくさんの花束をもって

雑記

それにしても、ぼんやり考えている間に時間が過ぎていくのである。生きている間に感じている自分の時間とはこれ、どういうことだろうか。まぁ、そんなことはいいのだ。

「楽しい」を探すという行為も、あくまで人生の捉え方のひとつとして考えたいものである。先日私は、ブラックの缶コーヒーを買ってごくごくと飲みました。おいしかったです。
今日も楽しそうな場所はどこか。何をもって楽しいとするか。そんなことを考えていたのである。

一人の少年が花束を両手いっぱいにかかえて通りをかけていく。あれは誰に渡す花束であろうか。

わたくしもできうるだけ、通りを行く少年のように、たくさんの花束を持って、ワハハと笑いながら、思いついたことを片っ端からやっていくような心持ちでいたいものだ。そのためには、どうにかして次の場所を見つけて進んでいく必要があるんだと思う。

はい。いやしかし、そんなことを言ってもなにも始まらないのである。
ん、もしかして楽しいは勉強なのかしら。そんな風に思った。楽しいは勉強だろうか。

じゃあ、勉強すればいいじゃん。毎日暇さあれば何でもかんでも勉強すれば良い。そうか。そうなのか。じゃあなんで、わたくしは勉強してないんだろう。だらだら、ごろごろしちゃうんだろう。
その対象に興味がないからである。じゃあ興味があることを勉強すればいいじゃん。なるほど、そうだ。その通りだ。

楽しいは、最終的に勉強にいきつくのか。最終的に。勉強。
今日はそんなことを考えていた。

ではまた。

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