次の旅をしようよ

雑記

楽しいについて考えていると、お風呂にゆっくりつかっているのも楽しいけどな。という考えが浮かんでくる。ご飯をゆっくり食べているときとか。話をしている時とか。音楽を聴いているときとか。そして、それらすべてが特にお金がかかることじゃないことに気がつく。

楽しさがどこにあるか、それを考えれば考えるほど、自分の動きがあんまりないときに感じる楽しさが多いことに気がつく。

動きがない楽しさがこの世の中にたくさん存在するのに、それが素晴らしいものだということがあまり世の中にひろまっていないのは、これはなぜなんだろうか。

テレビCMでも、今週末は家でじっとしていましょう。じっとしていながら、お茶をゆっくり飲みましょう。家の掃除を少ししたら話をしましょう。ただくだらない話をして、いま流れている時間を感じましょう。今が過去であり、未来であり、ここであり、どこかであることを意識してみましょう。そうするとほら、楽しくなってきます。例えば、ホイコーローがめちゃくちゃ美味しいというだけで、異常に楽しくなってきます。さあ、あなたも家でじっとしていましょう。
といったCMは見たことがないわけだけど、なぜないのかというと、この理論を推し進めても、だれも儲からないからかもしれない。

でも逆にいま、この時代に求められていることは、環境じゃあないだろうか。つまり、何もするな。楽しさはもうすでに手元にあるぞ。インスタントコーヒーを飲め。ホイコーローを食べろ!といった、そういうことなんじゃないだろうか。

だって何かにつけ、何かをやらせようとしてくる時代だ。基本的に何もしていません。休みの日はお茶を飲んで過ごしています。という人がいたとして、なんと話がひろがらない人だろうかと思われると思う。

その内容に焦点をあてた何かができないだろうか。休息部。何もしない部。できるだけ何もしないことを誇る。そんな風にしていると場合によっては「何もしないでいたら何者にもなれないぞ」という心の声が聞こえてくる。その時ほんとうにやりたいことがあるなら、すぐにでも飛び出して行けば良いと思うのだけど、一方で何もしないことについて、もっと称賛されても良いはず。

この時代に何もしない。には勇気がいる。勇気をもって、何もしない。お茶を飲んでゆっくりする。眠たくなったタイミングで眠る。何もしない。

そんなのはどうだろうか。

ではまた。

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