やってみる

雑記

とにかくやってみないことには始まらないということで、YouTubeを初めてみた。短い方がよいだろうと思って1分〜2分ほどにした。しかしこれ再生回数3回とかそんな感じになるな。どうしたものか。まぁいい。手探りでやっていこう。

よし、今日はテキストだ。なんでも良いから書き始めよう。とにかく楽しさについて考えたい。一生考えたい。楽しいというのはどういう状態なんだい?そういうことについて、私はこの身をもって手触りのある感覚として捉え、手繰り寄せていきたい。

よし。結構書けたぞ。次の内容について書こう。なんだっていいじゃないか。自分に向けて書くんだ。そうだ。そうするんだ。なんて楽なんだ。自分に向けて書いたら、いくらでも書ける感じがするな。ありがとう。そうして書こう。

大人になるにつれて、どんどん楽しいから遠ざかっていってしまう。そんな気がしている。大人の楽しさってこれなんだろう。飲み会だろうか、セックスだろうか。これがもし名も知らない小さい花を見ることです。という内容だったらこれどうなるんだろうか。

うわー、こどもっぽいとか、うそっぽいとかそんな感じになるんだろうか。そこからまず捉えていきたい。楽しさっていうやつは、極めて個人的なものなんじゃないかと。個人的にあぁ、これはいいね。ありがたいことだね。と感じられるものであれば、それがこそが楽しさという黄金なのではないかと。そのことについて考えたいですよ。私は。40手前にして。そのことについて考えたい。

例えば、散歩中にばっと振り返って西の空を見たら夕日が綺麗でした。あぁ、楽しいなと。それだけでいいじゃないかと。このテキストを書いて、それでその次の日にはお互いの頭の中に何も残っていなくても、それはそれでかまわないぜ。とそういう風に考えたい。というかそんなことは誰でも分かっているはず。当たり前のこととして理解できているはず。

では、なぜ大人になるにつれ、自然に少しずつ個人的な楽しさから遠のくのか。このことについて考えた。

どこかに、楽しんじゃってもいいんでしょうか。自分みたいなもんが、ワクワクドキドキしちゃっても良いんでしょうか。という気持ちがあるからではないかと考えた。
例えば目の前に自分だけが楽しめる箱があるとして、誰も興味を示さないその箱を開けて、自分だけが個人的に楽しんでも良いものなのか。という状態があるからだと思った。つまり楽しさを受け入れるにも、勇気がいるということである。

だからポイントとして、楽しさはみんなそれぞれ個人的なものだということを理解した上で、楽しさを受け入れる勇気を持つということが大切なんじゃないかと思った。

私はテキストを書くぞ。おー。と決めたら、テキストを書く。楽しい。集中力がきれる前にやめる。一番楽しい状態を自分で受け止めて、わっはっは。となってやめる。ご飯を食べて眠る。そういう感じでやっていきたいですよね。

はい。

ではまた。

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